刊行にあたって
中川 仁
現状の台湾における言語状況を語るには、日本統治下の言語状況を遡って考えていかなければならない。それは日清戦争後の台湾の割譲から始まり、社会が変容していく歴史を有するからである。統治する日本にとっては、近代化を推進する中、台湾を植民地として経営することになり、内地(本土)の近代化と重ね合わせ、内地延長型の植民地政策が進められた。
台湾の統治は「北京語のみで何とか統治できる」と思っていた 日本人にとって言語問題はその根幹ともなる躓きとなり領台当初の壁となった。台湾の族群(エスニック・グループ)は複雑で、漢民族が話す言語と先住民族が話す言語、言語体系も複雑な形態をもつという多言語状況を目の当りにしたのである。そして日本人は為政者となるため漢民族系の言語、山地に住む先住民族の言語を習得していった。同時に台湾に住む人々には、日本語教育(当時の国語教育)を遂行し、日本語は漢民族、先住民族、そして日本人の共通の言語となり、日本語が「言葉の超民族的機能を現す言語となる所以を構築した。」(代用言語的な存在となり、共通の概念をもつ言語に成長したのである。)
日本語教育は国語教育として、文教的な側面からの政策がとられ、初等教育からの日本語の浸透を目指していく。また日本人は統治のため軍事、警察などの側面から、台湾語(閩語系の諸方言)、客家語(広東省梅県辺りの方言)を習得していく。そして山地に住む先住民族(高砂族諸語)の言語は文化人類学的な側面から調査し、治安のため警察官などの日本人がその言語を習得した。
「台湾語」、「客家語」、「蕃語」を日本人はどのように習得し、外国語としての言語学習を試みたのか。今回の三部作の復刻は、原本を通じての言語学的な新たな研究の指針ともなる。『台湾語法』は、表記の問題と文の規則性という立場から、日本の文法書や言語学的理論の影響を受け、戦後初期出版される李献璋氏の『福建語法序説』、王育徳氏の『台湾語常用語彙』で論じられる「台湾語概説」に影響を及ぼす。『『語苑』にみる客家語研究』は、台湾語につぐ第二の言語客家語の音韻、文法、実用会話までを網羅し、1920年代から長きにわたり雑誌掲載され、その特徴が述べられている。そして『蕃語研究』の視点も全先住民族の言語を言語学的な視野で扱い、その音声表記、語彙、文型、実用会話と幅広く、先住民族の言語を語る概説書の役割を果たしている。
これらの言語は研究史として、台湾の現状の「言語の民主化」という立場の状況と多言語共生を謳う世の中を考えていく上で、大きな影響を及ぼした三部作といえよう。
近代から現代の一定段階にかけての資料をひもといていくなかで、新たな発見とその時代に書かれた先人たちの思いをここで再評価する必要性がある。